気持ちを共有することの難しさ
以前にもブログに書いたかもしれませんが
私は自分の感情
主に悲しいことを人と共有するのが苦手です。
理由は色々あるけれど
そういう人だから仕方がないと自分では思っています。
嬉しいことはもちろんいろんな人と共有したいのですが、、
でも世の中私とは考えが違う人も当然のことながらたくさんいます。
悲しいことがあったらみんなと共有したい
みんなに知らせたい
そうすることで元気になれるという人もいるし
実際そういう人の方がマジョリティのような気もします。
私はインスタグラムをはじめほとんどのSNSで猫を中心に投稿しているので
フォローしている方も猫投稿多め。
そうするとタイムラインも可愛い猫ちゃんの投稿が中心になります。
投稿には
新しい生命の誕生もあれば
去り行く命もあるわけで
なんとも複雑というか気持ちが追いついていかないこともしばしば。
嬉しい報告にはいくらでもコメントする言葉は見つかるのですが
悲しいお知らせの方には全く言葉が見つかりません。
感情ははっきりしているのです。
飼い主さんを自分に置き換えて言いようのない悲しみに襲われますし
自然に涙が溢れます。
でもそれを文章にしようとすると
どんな言葉も全部当てはまらないのです。
感情を全く文字にできないのです。
そんなことはないはずなのに
全部嘘っぽく見えてしまって。
思ったことをちゃんと言語化できる人って本当にすごいと思う。
だけど悲しいことの報告も嬉しいことの報告も
共通で気をつけないといけないことがあります。
それはいくら思ったことをうまく言語化できたとしても
そのまま発信しないこと。
勢いで書いた文章は実はとても攻撃的になっていたり
自分の気持ちを優先するあまり独りよがりになっていて
読んで傷ついたり嫌な思いをする人がいるかもしれません。
私もおよそ10年SNSを利用していますが
何気ないコメントの一言に傷ついたり
これってどういう意味なのかしら。とネガティブ解釈をしたり
言葉って難しいなあと思うことはよくあるのです。
発信した人に悪気はなくても
文字にすることでその意味の何倍も強い表現に感じてしまうこともあるのです。
日記だったら
思いの丈を書き殴ってスッキリすればいいのですが
不特定多数に向けて発信する場合は
私は一度客観的に読み返してみることに決めています。
すると自分のもう一つ外側から文章を見ることができるので
誰かをとても傷つけてしまうことは避けられます。
(少しはあるかもしれないけれど、、)
今のご時世ということもあるのかもしれませんが
言論の自由とコンプライアンスの間で結構しんどいなと思うことも正直ありますよね。
でもそこを自分の気持ちもちゃんと出しながら
気持ちよく伝えられたらいいなというのが私の理想。
話は少しそれましたが
SNSにおける悲しい投稿への反応って
最も発信した人の気持ちを考える必要があると思うので
いつもとても言葉を選んでしまうし
その結果なんだか嘘っぽくなってしまったりして
とても難しい。ということが言いたかったのです。
そして自分だったらどんな反応が欲しいのか?と考えると
ますます分からなくなってしまい
底なし沼にハマってしまうのでした。
そんな私ですが
自分なりのルールを守りながら
これからも楽しく投稿を続けていきたいと思っています。
中でもブログはなんとなく他のSNSとは違って
よりじっくり考えて書くことができるので私にとっては大切な場所となっているのです。
そんなわけで今後とも徒然なるままに書いていきますのでお暇な時には読んでいただけると幸いです。
おきろ。
とテレパシーを送るジュリー👀✨
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確かに。言葉って難しいですよね。私も過去にリアル友が書き込んだコメントにかなり傷ついて落ち込んで、その人とは疎遠になりました。向こうはそんな事思ってもいない様で、なんで私が距離を置いてるのか分からないんだろうなぁと思っていたのですが、だからと言って正直な気持ちを伝えることもできずモヤモヤしながら今日まで来てしまいました。言葉は気持ちを超えないというのかな、何と表現したらいいのか分からないし、ありきたりな言葉じゃ安っぽいし、そんなんじゃなくてもっと気持ちは大きいのに言葉では小さくて全部伝わらない。
しかも言葉は凶器にもなりえるので、安易に発信すると危ないし。でもココさんの言葉はいつも優しくて、選ばれた言葉で文章が成り立っているなぁと思います。