5月ですね。

5月。

新しい環境に身を置いて1ヶ月ほどという方も多いのではないでしょうか。

この頃から少し憂鬱になったりして

いわゆる5月病になってしまうなんて方もいらっしゃるかもしれません。

 

かく言う私は四季の中で春が苦手なので

毎年なんとなく憂鬱な4月、5月です。

 

話は急に変わるのですが

 

例えばものすごく悲しいことがあったとします。

一人で抱えきれないほど悲しいことです。

さて皆さんはどうしますか?

 

私は昔から悲しいことを誰かと分かち合うのがとても苦手です。

 

嬉しいことは分かち合いたいし、うまく共有できるのですが

悲しいことはどのように共有したらいいかわからないのです。

 

 

一般的には

人と分かち合うことで喜びは倍に

悲しみは半分に

みたいなことをよく耳にしたり目にしたりするのですが

私の場合は悲しみは半分にならなくてむしろ二乗になってしまう

そんな感じです。

困ったものです。

 

 

でも人から悲しみや苦しみを相談されたり打ち明けられたりするのはまた別なのです。

あくまでも自分の悲しみを人と共有するのが苦手

ということです。

 

中には聞いてもらうだけで心が落ち着く人もいるとは思うのですが

私は聞いてもらうことで相手がどう思うか、返す言葉にとても困るんじゃないだろうか

私のことをこれから可哀想な人という先入観で見てしまうんじゃないだろうか

などなど

余計なことを考えてしまいます。

 

 

もうこの時点でだいぶおかしな人かもしれないんですけど(笑)

 

事実そうなのだから仕方ありません。

 

私にとっての一番のストレスは

 

 


「人に心配をかけること」なんだろうなあ

と都合よく考える様になった今日この頃。

 

 

振り返れば子供の頃からその兆候はありました。

何があっても両親にも友達にも

大丈夫大丈夫。って言って

自分一人でなんとか折り合いをつけるみたいな。。

 

なんだか可愛くない子供だけど

人から心配されることに比べたら自分で解決する方が幾分楽だったのでしょう。

 

 

そんな性質は大人になっても変わらず

今も例えばとても悲しいことがあった時

苦しいことがあった時

よほどのこと以外は誰にも言わないで

自分で解決します。(よほどのことってなんだろうw

 

 

心の持って行き方としては

常に私よりつらい人はたくさんいる。と思うことです。

 

自分が世界一惨めでつらい人だって思う時も

いや、世界で一番じゃないだろう。って思うことにしています。

そうすると不思議となんとかなるさ。って思えてきます。

 

 

これはまあ、心の問題なので

何か実害があるピンチに立った時にはもちろん誰かに相談していただきたいし

私もそうします。

 

だけど、自分の心がとんでもなく落ち込んだり

悲しみに耐えられない時って

結局最後に手を差しのべられるのは自分自身だと思ってるんですよね。

どんな理由で辛いのか、悲しいのかを本当に知っているのって自分だけだからです。

 

もちろん人によって悲しみの癒し方はさまざま

 

 

友達にたくさん話して心が落ち着く人

寄り添ってくれる人がいることで救われる人、もちろんどれも正解だし

本当に色々です。

 

こんなご時世

というのもあって、今は私自身

仕事でもプライベートでも辛いことは本当に多いのだけど

自分はやっぱりそれを発信できない人間なのだなあ。

と思うのでした。

 

 

あと、自分の権利を主張するのとかも大の苦手。

という不器用をこじらせたこんな私ですが

みなさまいつも私の駄文を読んでくださってありがとうございます。

 

 

実はこうやって文章を書くことで私の辛さって

消化されてるし昇華されているのです。

 

私の周りの人たちは

辛いことは寝たら忘れるタイプが多い。

うらやまし!

 

寝たら忘れる、、というか

悩みなど無いであろうひとたち。

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