私が子供だったころ。

今日は私の子供の頃のことを。


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人姉妹の姉として生まれた私は

父、母、どちらの家にとっても初孫だったので

とにかくかわいがられました。

 

何をしてもまず否定されることがなかったからなのか

今もすごく打たれ弱いです。()

 

そしてなんでも1番に買ってもらっていたので

(洋服など、長女だったのでお下がりを着た記憶がない)

なんに対しても執着心がないのです。

そして今も割と何事にも執着心は薄い。

 

 

あと、忘れてはいけない子供のころの1番の特徴。それは人見知りでした。

とにかく人が怖くて仕方がなかった。

 

 

打たれ弱くてなんだかボーッとしていて

しかも人見知りで愛想もない

今思えば全然可愛くない子供だっただろうなあ。()

 

かと言ってすごく個性的というわけでもなく

なんでも10人並み。

 

 

普通の枠からはみ出るのが怖いから

なるべく自分の意見は言わないような子供でした。

 

自分の思ったことをあまり言えないことの反動なのか

両親にはそれなりにワガママを言う

 

いわゆる

内弁慶っていう厄介な特徴も持ち合わせていました。

 

 

でも内弁慶ってことは

家では弁慶みたいに強い自分でいなければならないわけで

 

なんとなく子供のころから

自分を追い込みがちだったなあと思います。

 

 

両親には心配かけたくないとか

弱い自分を見せたくないとか

 

そういう気持ちが人一倍強かったので

 

父や母に悩みを相談するとか

なんでも話すとか

考えもしなかった。

そんな強がりな子供時代でした。

 

 

カッコイイ言い方をすると

父や母には私のことで少しでも喜んだり

自慢に思ったりしてほしかったので

 

カッコ悪い自分は見せられなかったのです。

 

 

そういえば今でもそれは変わってないのかも

 

理想の親子関係

 


でも実は

なんでも家族に話せる友達のことが

とても羨ましいし

 

友達みたいな親子っていうのかな。

そういうの憧れました。

 

 

うちは母親が体が弱かったから

学校行事もあまり出られなかったし

一緒に買い物に行ったり

旅行に行ったりという記憶がありません。

 

 

だからよけいに

羨ましいと思うのかもしれませんね。

 

特に元気なお母さんへの憧れは強いような気がします。

 

 

理想は「あたしンち」のお母さん。

でもそれも今思えば

贅沢な話で

 

 

いつも私たち子供のことを1番に考えて

毎日ごはんを作って

ちゃんと育ててくれた母と

やはり自分のことは後回しで

一生懸命働いて私たちを大学まで出してくれた

 

子供のころは親なんだから当たり前じゃん。と思っていたかもしれませんが

 

 

自分がこの年齢になってみて

全然当たり前じゃなく

それこそが世に言う無償の愛というものなんだなあ。

 

そしてそれを何も考えずに享受していた私は

とても幸せな子供時代を過ごしたのだなあ。と思うのです。

 

 

しかし、

「三つ子の魂百まで」で

いまだに打たれ弱い、人見知り、内弁慶の3点セットからは解放されずにいます()

 

 

以上なんとなく

子供のころのわたしの特徴(今もか)を

ざっくり書いてみました。

この子たちの里親となった私は

まさに今無償の愛を与えて育てております。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

 

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