ニャンコと私。
猫のいない人生なんて
衣食住猫
私の生活における基本的要件である。
どれが欠けても困りまくります。
いつもマイペース時々甘えん坊のトム。
ほとんどいつも甘えん坊で誰かと一緒にいたいジュリー。
今はこのお二方が現在の私の家族。
今までも物心ついた頃から常に近くにニャンコはいて
どんな時も私を癒してくれました。
辛いことがあってももふもふして暖かいニャンコをギュッと抱きしめると
あら不思議
悲しいことや辛いことが
そのもふもふの奥深くに吸い込まれていくのでした。
もちろん猫からの癒しを求めるだけでは猫と暮らしていくことはできません。
言葉の通じないちょっとした異星人のような彼らの要求や
体調の変化などを日々観察すること(触れ合うこと)によって
気づいてあげなければなりません。
だって言葉がわからないから。
でもあら不思議。
毎日ニャンコと向き合って生活していると猫飼いレベルがどんどん上がっていきます。
本当に次に何をして欲しいのかわかるようになったり
体調の変化にすぐに気づけるようになったり
心が通い合うようになります。
こうなったら初めてニャンコと持ちつ持たれつの暮らしを満喫できるようになるのです。
逃れられないもの
ニャンコとの生活は本当に幸せです。
でも物事には何にでも違う側面というものがあります。
そうです。いつかはやはりお別れの時がやってきます。
先代のニャンコたちとのお別れも何度か経験しましたが
これだけは逃れられない現実で
お別れの時はとても文章には表わせないほどの悲しみに襲われます。
今まで「もうこの悲しみを味わいたくないから猫は飼わない方がいいのでは」と思ったことももちろん何度もありました。
そう思うとせっかくご縁があって子猫の里親になっても
もうお迎えした時点で「絶対にまたあの悲しみを経験するんだ」と思うとかなり辛かった時期もあったんです。
考え方を変えてみる
もちろん慣れたり平気になったりすることはありません。
でもちょっと考え方を変えてみたのです。
今までは猫の方が絶対に先にいなくなってしまうという先入観があって
なんとなく「あとどれくらいこの子は私のところにいてくれるのだろう。」などと
いつも終わりを意識して過ごしていたのですが
考えてみたらニャンコも人間も明日のことなんてわからないのは同じことなんですよね。
お互いに今日という一日は平等。
そう思ったら
今日も一緒に過ごせたね。と前向きに考えられるようになったのです。
ちょっとしたことだけど、私には大きな変化でした。
ネガティブな考えの沼にハマってしまうことから一時避難できるちょっとした工夫にすぎないけれど
私はかなり心が楽になりました。
先代のニャンコからはたくさんのことを学んだし
トムジュリからは毎日とても大きな幸せをもらっているので
これからも私にできることを精一杯お返ししていきたい
そんなふうに思います。
こんなふうに猫と私の関係はこれからもずっと続いていくのでしょう。
今日も私のブログを読んでくださってありがとうございました。
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